第3章:シンクロニシティの波
13. スクリーンの向こうの真実
結菜に会える日まであと数日。
私はこれまでの人生で、こんなに「待つ時間」が長く感じたことがあっただろうか?
子どもの頃、クリスマスや誕生日が待ち遠しくて仕方なかったことはあるけれど、それとは違う。
あのときは「ワクワク」だったけれど、今の私は「ドキドキ」している。
結菜は、どんな顔をしているんだろう?
ちゃんと笑ってくれるだろうか?
それとも、怒っているかもしれない?
そんなことを考えていると、どんどん不安になってくる。
私は深呼吸をして、最近の習慣を思い出した。
「私は観客だ」
そう。私は、スクリーンを観る者。
今、結菜に会える前の「この瞬間」も、映画のワンシーンにすぎない。
もしもこの映画が、最後にハッピーエンドを迎えるとしたら――
この不安な時間も、「あとで振り返れば意味があった」と思えるのかもしれない。
「よし、今日は徹底的にスクリーンの意識を持って過ごしてみよう」
私は、日常のあらゆる場面で「これは映画だ」と意識することにした。
***
朝、駅のホームに立っているとき。
通勤ラッシュで人がごった返している。
満員電車に押し込まれるサラリーマン、スマホを眺める女子高生、コーヒーを片手にあくびをするOL。
「私は今、この映画のワンシーンを観ている」
そう思った瞬間、目の前の景色がスッと変わった。
電車に乗る人々の動きが、まるでスローモーションの映像みたいに見えた。
「……おもしろい」
私は、今まで気づかなかった細かいことに目が向くようになった。
改札で「ピッ」とICカードをかざす音。
誰かが足早に階段を駆け上がる音。
風が吹いて、駅のポスターがふわりと揺れる瞬間。
この世界は、こんなにも細かく「作り込まれている」のか――
今まで私は、「自分の悩み」の中で生きていた。
結菜のこと、仕事のこと、生活のこと……そればかり考えていた。
でも、こうして「スクリーンの外」から世界を観ると、
私はただの「登場人物」じゃなく、「観客」なんだと実感する。
***
午後、カフェで休憩していたとき。
私は、ボーッと窓の外を眺めていた。
向かいのベンチに、母親と小さな男の子が座っている。
「ねえねえ、ママ!」
男の子が、嬉しそうにアイスをかじりながら話しかける。
母親は微笑んで、優しく頷く。
私はその光景を、映画のワンシーンみたいに眺めていた。
そしてふと、思った。
「この映画の主役は、私だけじゃないんだな」
今までの私は、自分の物語のことばかり考えていた。
「私はこんなに大変」「私はこんなに頑張っている」
「どうして私はこんな目に遭うんだろう」
でも、この世界は、無数のスクリーンが重なり合ってできている。
あの親子にも、あのサラリーマンにも、それぞれの映画がある。
そして、結菜にも。
結菜は、今どんな映画を観ているんだろう?
「お母さんに会えなくて寂しい」と思っているのか。
「また元の生活に戻れるのかな」と不安になっているのか。
それとも、「私は一人でも大丈夫」と強がっているのか。
私は、結菜の映画の中にどう映っているのかを、今まで考えたことがなかった。
私はただ、「母親として、ちゃんとしなきゃ」と思っていた。
でも、それは私の映画の中の話であって、結菜の映画では違うかもしれない。
私は、スクリーンを「観る者」になった。
でも、それは「私のスクリーン」だけじゃなく、
結菜のスクリーンもちゃんと観る必要があるんじゃないか?
「……今まで、気づいてなかったな」
私は、カフェのテーブルに置いたコーヒーカップをそっと持ち上げた。
「結菜に会ったら、ちゃんと聞いてみよう」
「結菜は、どんな映画を観てるの?」って。
そうすれば、私は今までよりもっと、結菜のことをわかってあげられるかもしれない。
窓の外では、あの親子が立ち上がり、手をつないで歩き出した。
私はその後ろ姿を見ながら、心の中でそっと微笑んだ。
きっと、この映画の続きは、優しいシーンになる。
私は、それを信じていた。

