第2章:不思議なメッセージ
9. タフティメソッドとの出会い
最近、私は考えている。
「私の人生は、私が選んでいるのか?」と。
神社で出会った謎の男性や、不思議な夢の中のスクリーン。
どれもこれも、「お前の現実はお前が決めるんだぞ」と言っている気がする。
でも、現実はそんな簡単に変わるものじゃない。
結菜はまだ帰ってこないし、児童相談所の壁は厚いままだ。
私が「結菜と一緒に暮らす」と決めたところで、それが叶う保証なんてどこにもない。
――だけど、もし本当に「意識の使い方」で現実が変わるのなら?
私は、最近気になっていた「タフティメソッド」について、もう少し深く知りたくなった。
***
次の週末、私はカフェの片隅でスマホを片手にコーヒーを飲んでいた。
検索履歴は「タフティメソッドとは」「現実操作」「スクリーンの意識」「人生を変える方法」など、ちょっとスピリチュアル寄りのワードで埋め尽くされている。
「タフティメソッド」というのは、『タフティ・ザ・プリーステス』 という本に書かれている現実創造のメソッドらしい。
ロシアの思想家ヴァジム・ゼランドが提唱したもので、簡単に言うと、「現実は自分が思っているよりもはるかに柔軟で、意識の使い方次第で自由に変えられる」という考え方だ。
私はスマホの記事をスクロールしながら、ある言葉に目が止まった。
「スクリーンの意識を持ちなさい」
スクリーン……。
夢の中で私が見た、無数の未来が映るスクリーン。
あれは、もしかしてタフティメソッドの概念そのものだったのか?
私は興味を引かれ、さらに読み進めた。
「私たちは普段、現実のスクリーンにのめり込んでしまっている。
でも、本当の自分は、スクリーンの外にいる観客なのだ」
スクリーンの外にいる……?
私はぼんやりと考えた。
今までは、「現実は変えられないもの」と思っていた。
でも、それは「自分が映画の中の登場人物になっている」からなのかもしれない。
「もしも、私は映画の登場人物じゃなくて、観客だったとしたら?」
観客なら、映画を選ぶことができる。
悲劇の物語を見続けることもできるし、幸せなストーリーに切り替えることもできる。
私は今、どんな映画を観ているんだろう?
「母親失格のレッテルを貼られ、娘を失い、理不尽な世界に翻弄されるストーリー」
……うわ、そんな映画、絶対に観たくない。
それなら、私は違う映画を選ばなければならない。
「結菜と再会し、幸せに暮らす物語」を。
「スクリーンの意識を持つこと。それが、現実を変える第一歩である」
記事の最後に、そう書かれていた。
私はスマホを閉じ、コーヒーを一口飲んだ。
「スクリーンの意識か……」
やるだけやってみる価値はある。
私は、タフティメソッドを実践してみることにした。
***
夜、私は静かに部屋の電気を消し、ベッドに横になった。
意識をスクリーンの外に置く……って、具体的にどうすればいいんだろう?
とりあえず、記事に書かれていたとおりにやってみる。
まず、「今の自分を眺める」
私は布団にくるまり、天井を見上げている。
次に、「スクリーンの向こう側にいる自分を意識する」
つまり、私は「この状況を観ている存在」なのだ。
私は、私を眺める。
仕事から帰ってきて、疲れた顔でスマホをいじる私。
結菜に会えなくて落ち込んでいる私。
ため息をつく私。
それを、もう一人の私が、スクリーンの外から見ている。
「ふむふむ、これはなかなかしんどい映画だな」
スクリーンの外にいる私は、そう思った。
「じゃあ、この映画、変えようか?」
私は、別のスクリーンを選ぶことにした。
「結菜が帰ってきて、一緒にご飯を食べている私」
「結菜が『ただいま』と笑顔で帰ってくる私」
「私はそれを見て、『おかえり』と微笑む」
そんな映像を、私はスクリーンに映す。
最初はただの妄想のように思えたけれど、やっているうちに不思議と心が落ち着いてきた。
私はこの未来を選ぶ。
そう決めるだけで、気持ちが変わっていくのがわかった。
タフティメソッドは、単なる「思い込み」ではないのかもしれない。
意識が変われば、見える世界が変わる。
私は、これから少しずつ「選ぶ未来」を変えていこうと思った。
だって、私は観客なのだから。
私は、どんな映画を観るのかを、自由に決められるのだから。