9. タフティメソッドとの出会い【理不尽な世界の攻略法 ~51歳シングルマザーの覚醒ストーリー~】

理不尽な世界の攻略法 ~51歳シングルマザーの覚醒ストーリー~

第2章:不思議なメッセージ

9. タフティメソッドとの出会い

 最近、私は考えている。

 「私の人生は、私が選んでいるのか?」と。

 神社で出会った謎の男性や、不思議な夢の中のスクリーン。
 どれもこれも、「お前の現実はお前が決めるんだぞ」と言っている気がする。

 でも、現実はそんな簡単に変わるものじゃない。
 結菜はまだ帰ってこないし、児童相談所の壁は厚いままだ。
 私が「結菜と一緒に暮らす」と決めたところで、それが叶う保証なんてどこにもない。

 ――だけど、もし本当に「意識の使い方」で現実が変わるのなら?

 私は、最近気になっていた「タフティメソッド」について、もう少し深く知りたくなった。

 ***

 次の週末、私はカフェの片隅でスマホを片手にコーヒーを飲んでいた。

 検索履歴は「タフティメソッドとは」「現実操作」「スクリーンの意識」「人生を変える方法」など、ちょっとスピリチュアル寄りのワードで埋め尽くされている。

 「タフティメソッド」というのは、『タフティ・ザ・プリーステス』 という本に書かれている現実創造のメソッドらしい。
 ロシアの思想家ヴァジム・ゼランドが提唱したもので、簡単に言うと、「現実は自分が思っているよりもはるかに柔軟で、意識の使い方次第で自由に変えられる」という考え方だ。

 私はスマホの記事をスクロールしながら、ある言葉に目が止まった。

 「スクリーンの意識を持ちなさい」

 スクリーン……。
 夢の中で私が見た、無数の未来が映るスクリーン。

 あれは、もしかしてタフティメソッドの概念そのものだったのか?

 私は興味を引かれ、さらに読み進めた。

 「私たちは普段、現実のスクリーンにのめり込んでしまっている。
  でも、本当の自分は、スクリーンの外にいる観客なのだ」

 スクリーンの外にいる……?

 私はぼんやりと考えた。
 今までは、「現実は変えられないもの」と思っていた。
 でも、それは「自分が映画の中の登場人物になっている」からなのかもしれない。

 「もしも、私は映画の登場人物じゃなくて、観客だったとしたら?」

 観客なら、映画を選ぶことができる。
 悲劇の物語を見続けることもできるし、幸せなストーリーに切り替えることもできる。

 私は今、どんな映画を観ているんだろう?

 「母親失格のレッテルを貼られ、娘を失い、理不尽な世界に翻弄されるストーリー」

 ……うわ、そんな映画、絶対に観たくない。

 それなら、私は違う映画を選ばなければならない。
 「結菜と再会し、幸せに暮らす物語」を。

 「スクリーンの意識を持つこと。それが、現実を変える第一歩である」

 記事の最後に、そう書かれていた。

 私はスマホを閉じ、コーヒーを一口飲んだ。

 「スクリーンの意識か……」

 やるだけやってみる価値はある。

 私は、タフティメソッドを実践してみることにした。

 ***

 夜、私は静かに部屋の電気を消し、ベッドに横になった。

 意識をスクリーンの外に置く……って、具体的にどうすればいいんだろう?

 とりあえず、記事に書かれていたとおりにやってみる。

 まず、「今の自分を眺める」
 私は布団にくるまり、天井を見上げている。

 次に、「スクリーンの向こう側にいる自分を意識する」
 つまり、私は「この状況を観ている存在」なのだ。

 私は、私を眺める。
 仕事から帰ってきて、疲れた顔でスマホをいじる私。
 結菜に会えなくて落ち込んでいる私。
 ため息をつく私。

 それを、もう一人の私が、スクリーンの外から見ている。

 「ふむふむ、これはなかなかしんどい映画だな」

 スクリーンの外にいる私は、そう思った。

 「じゃあ、この映画、変えようか?」

 私は、別のスクリーンを選ぶことにした。

 「結菜が帰ってきて、一緒にご飯を食べている私」

 「結菜が『ただいま』と笑顔で帰ってくる私」

 「私はそれを見て、『おかえり』と微笑む」

 そんな映像を、私はスクリーンに映す。

 最初はただの妄想のように思えたけれど、やっているうちに不思議と心が落ち着いてきた。
 私はこの未来を選ぶ。
 そう決めるだけで、気持ちが変わっていくのがわかった。

 タフティメソッドは、単なる「思い込み」ではないのかもしれない。
 意識が変われば、見える世界が変わる。

 私は、これから少しずつ「選ぶ未来」を変えていこうと思った。

 だって、私は観客なのだから。

 私は、どんな映画を観るのかを、自由に決められるのだから。