第6話『児童相談所の壁~届かない想い~』
ある晴れた朝、私は児童相談所に向かっていた。
バッグの中には、美月への手紙と、先日引いた「運命の輪」のタロットカード。
心臓がどくどくと音を立てている。今日は何か進展があるかもしれない。
そんな期待と不安が入り混じっていた。
児童相談所の建物は、相変わらず無機質で冷たい雰囲気をまとっていた。
受付で名前を告げると、担当の女性が現れた。
小さな丸メガネをかけたその女性は、事務的な笑顔で私を会議室へ案内した。
廊下を歩く間も、冷たい空気が肌に刺さるようだった。
「お母さんとしての気持ちはよく分かりますが…」
その言葉が出た瞬間、私は心の中で「またか」と思った。
話を聞くふりをして、結局はマニュアル通りの言葉しか返ってこない。
私はただ、娘に会いたいだけなのに。
「私は美月の母親です。たしかに忙しくて至らなかったことは認めます。
でも、今は心を入れ替えて、生活を整える努力もしています。」
思い切ってそう伝えたけれど、担当者は申し訳なさそうに首を振った。
「それでも、今すぐには難しいのです。娘さんの心のケアも必要ですし、お母さん自身がもっと安定した生活基盤を整えることが必要です」
机の上に置かれたファイルが目に入った。
「美月」と書かれたその文字が、なんだかよそよそしく感じて、胸が苦しくなった。
ファイルの角が少し折れているのを見て、誰かが雑に扱ったのかもしれないと思うと、余計に胸が締め付けられた。
「せめて手紙だけでも渡してもらえませんか?」
私はお願いした。担当者は少しだけ迷った様子を見せたが、ゆっくりと頷いた。
「お預かりします。ただ、娘さんが読むかどうかは分かりません。」
それでもいい。渡してくれるだけでいい。私は深く頭を下げた。
その瞬間、涙がこみ上げてきて、慌ててハンカチで目を押さえた。
会議室を出るとき、廊下で一瞬だけ小さな声が聞こえた。
「お母さん…?」
振り返ると、ドアの隙間から美月の姿が一瞬見えた気がした。
でも、すぐに誰かに連れられていってしまった。
「あぁ…会いたいよ」
その帰り道、涙が止まらなかった。歩道のタイルが涙で滲んで見えた。
公園のベンチに腰を下ろして空を見上げると、ぽっかりと白い雲が浮かんでいた。
その雲が、美月に「もう少しだけ頑張って」と伝えてくれているように見えた。
スマホを開くと、占い用のアカウントにメッセージが届いていた。
「彩香さんの言葉で元気になれました。ありがとうございます。」
こんなときでも、誰かの役に立てている。
それがわずかな救いだった。
家に帰って、タロットカードをまた一枚引いた。
出たのは「吊るされた男」
「忍耐と視点の転換か…」
カードを眺めながら、私はゆっくりと深呼吸をした。
すぐに結果を求めず、今は耐えるとき。
そんな時期なのだろう。
夜、眠れずにSNSを眺めていると、こんな投稿を見つけた。
『壁にぶつかったときは、壁を壊すことよりも、よじ登る方法を考えてみよう。』
その投稿を読み終えた後、私はふと思い出した。
美月が小さい頃、公園の滑り台に登れなくて泣いていたこと。
私はそっと手を貸して、「大丈夫、一緒に登ろう」と言った。
あの時、美月は私を信じて一歩ずつ登っていった。
「今度は私が、自分の壁を登る番なんだ。」
私はスマホをそっと胸に当てて、目を閉じた。
大丈夫。まだ終わりじゃない。
「美月、待っててね。必ず迎えに行くから。」
その夜、夢の中で美月が手を振って笑っていた。
その笑顔を胸に、私は明日もまた前を向いて歩こうと心に誓った。