第6章:新しい現実へ
28. この世界は私のスクリーン
結菜が帰ってきて、数日が経った。
朝起きると、キッチンから小さな音が聞こえてくる。
「またか……」
私はそっと布団から出て、リビングへ向かった。
そこには、食パンにバターを塗ろうとしている結菜の姿があった。
「結菜、おはよう」
「ママ、おはよ! 今日はちゃんとバター塗れたよ!」
テーブルには、すでに私の分のパンと牛乳も置かれていた。
私は、その光景を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「ありがとう。じゃあ、今日はスクランブルエッグも作っちゃおうか?」
「うん!」
結菜が元気に頷く。
以前の私は、朝ごはんなんて適当に済ませることが多かった。
仕事に追われて、結菜とゆっくり朝食を食べる時間さえなかった。
でも今は違う。
私は、この時間を心から大切にしたいと思っている。
「ねえ、ママ」
卵を混ぜながら、結菜がふと聞いた。
「ママって、最近すごく変わったよね」
私は、手を止めて結菜を見た。
「変わった?」
「うん。なんかね、前より優しくなったっていうか……落ち着いてるっていうか……。前はいつも忙しそうで、なんかピリピリしてた感じがする」
「そうだった?」
「うん。でも今のママは、なんかフワフワしてる」
私は、その言葉に思わず笑ってしまった。
「フワフワかぁ。でも、それっていいこと?」
「うん! だって、ママが楽しそうだもん」
私は、その言葉を聞いて少し考えた。
確かに、私は変わったのかもしれない。
前は、毎日が戦いだった。
仕事に追われ、結菜のことをちゃんと見てあげられなくて、焦って、落ち込んで……。
でも、今の私は違う。
「ママね、最近気づいたんだ。この世界って、自分がどんなふうに見るかで変わるんだなって」
「どういうこと?」
「うーん、例えばね……」
私は少し考えてから、言葉を続けた。
「前のママは、『仕事が大変』ってばかり思ってた。でも、仕事が大変なのは本当にそうだったけど、実は『大変なことばかりに目を向けてた』だけだったのかもしれないって思うんだ」
「ふーん?」
「例えば、朝の電車の中で『今日も疲れるなぁ』って思ってると、本当に疲れる一日になる。でも、『今日はどんな楽しいことがあるかな?』って思うと、なんとなく良いことが起きるような気がするの」
「それ、魔法?」
結菜がワクワクした顔で聞いてくる。
「魔法じゃないよ。でも、ちょっと魔法みたいだよね」
私は、卵をフライパンに流し込みながら笑った。
「この世界はね、スクリーンみたいなものなんだって」
「スクリーン?」
「そう。映画のスクリーンみたいに、自分がどんな映像を映すかで、見える世界が変わるんだよ」
結菜は、スクランブルエッグを作る手を止めて、じっと私の顔を見た。
「じゃあ、ママが楽しいって思ってるから、今のママは楽しい世界にいるってこと?」
「そうそう! すごいね、結菜」
「へへっ」
結菜は嬉しそうに笑った。
***
朝食を食べたあと、私はリビングのソファに座りながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。
「この世界は私のスクリーン……」
私は、タフティメソッドを知るまでは、そんなこと考えたこともなかった。
でも、今ならわかる。
私は、ずっと「大変な世界」を映し続けていた。
「大変な世界にいる母親」という役を演じていた。
でも、それをやめることにした。
私は、もっと明るい映像を映す。
「楽しそうなママ」「結菜と笑っているママ」「幸せな私」
そう決めたら、なんだか世界が本当に変わって見えた。
「ママ?」
結菜が、ソファにちょこんと座った。
「どうしたの?」
「ママが楽しいって思ってると、結菜も楽しい」
私は、その言葉に驚いた。
「本当?」
「うん。だからね、ママがずっと楽しいって思ってくれたら、結菜もずっと楽しいよ」
私は、その言葉をじっくりと噛みしめた。
そうか。
私は、自分が変わることで、結菜の世界まで変えることができるんだ。
「そっか、じゃあ、ママはもっと楽しくしなきゃね」
「うん!」
結菜は元気よくうなずいた。
***
その日、私は改めて心に決めた。
この世界は、私のスクリーン。
私は、自分の好きな映像を映していい。
だから、これからはもっと楽しく、もっと幸せなスクリーンを作っていこう。
結菜と一緒に。
私は、そっと結菜の手を握った。
「ねえ、これからも一緒に楽しいスクリーンを作ろうね」
「うん!」
結菜は、大きくうなずいた。
スクリーンの向こうには、まだ見ぬ素晴らしい未来が広がっている。
私は、その未来へと向かって歩き出した。