第3章:シンクロニシティの波
12. 忘れられた記憶の扉が開く
結菜に会える日が決まった。
児童相談所の担当者と話し合い、来週の面会が決まったのだ。
久しぶりに結菜の顔が見られると思うと、嬉しくて仕方がない。
この数週間、私は「現実を観る者になる」と決めて生きてきたけれど、やっぱり子どもに会えないというのは、どんな理論を知っていても寂しいものだった。
「あと少し」
私はカレンダーに丸をつけて、深呼吸した。
結菜と会うとき、私はどんな顔をすればいいのだろう。
「ごめんね」って言うべきか、「よく頑張ったね」と言うべきか。
それとも、何も言わずに、ただ笑顔でいればいいのか。
そんなことを考えていたら、急に疲れが出てきた。
私はソファに座り込み、ぼんやりと天井を見上げた。
***
気づくと、私は夢の中にいた。
どこか懐かしい場所だった。
それは、古びたアパートの一室。
窓の外には、灰色の空。
部屋の隅には、ボロボロになったぬいぐるみが置かれている。
「……ここ、どこだっけ?」
私は部屋を見回した。
それから、ふと、鏡の前に小さな女の子が立っていることに気づいた。
黒髪のおかっぱで、ピンクのワンピースを着た女の子。
年齢は……6歳くらい?
「……誰?」
私が近づこうとした瞬間、女の子はクルッと振り向いた。
――私だった。
6歳のころの、私。
私は思わず息をのんだ。
夢の中なのに、心臓がバクバクする。
懐かしいけれど、すごく遠い記憶。
そして、なぜか嫌な感じがする。
「……ママは?」
小さな私が、私に向かって尋ねた。
「え?」
「ママ、また帰ってこないの?」
私はハッとした。
そうだ。
この部屋は、私が子どもの頃に住んでいたアパートだ。
母が仕事で忙しくて、いつもひとりで待っていた部屋。
お腹がすいても、泣きそうになっても、誰もいなかった。
私が、私自身に聞いている。
「ママは、いつ帰ってくるの?」
私は何も言えなかった。
***
「――はっ!」
私は飛び起きた。
胸がドキドキしている。
夢だった。
でも、妙にリアルだった。
まるで、昔の記憶が突然よみがえってきたみたいに。
私は膝を抱えながら、頭を整理しようとした。
……そうだ。
私は、小さいころ、母を待っていた。
寂しかった。
でも、「いい子にしていれば帰ってくる」と信じていた。
母は、私を見捨てたわけじゃなかったけれど、私はずっと、心のどこかで「どうしてもっと一緒にいてくれなかったの?」と思っていた。
それを、私はすっかり忘れていたのだ。
でも今、結菜に同じ思いをさせているんじゃないか?
私は、結菜に「お母さんはあなたを愛してるよ」と言っていた。
「ママはお仕事頑張るからね」と伝えていた。
でも、もしかしたら結菜は、昔の私と同じように思っていたのかもしれない。
「ママは、また帰ってこないの?」って。
私はゆっくりと立ち上がった。
部屋の隅に、昔使っていたアルバムがあるのを思い出した。
引き出しの奥から取り出して、パラパラとめくる。
そこには、小さな私と、若いころの母の写真があった。
楽しそうに笑っている写真もあれば、ひとりで遊んでいる写真もある。
「……私は、結菜に何をしてあげられるんだろう?」
私は、結菜に「愛してるよ」と言うだけでなく、もっと伝えなきゃいけないことがあるのかもしれない。
「もう寂しくさせないよ」
そう言えるように。
私はそっとアルバムを閉じた。
忘れていた記憶の扉が開いた。
それは、私が結菜を迎えに行くために必要な記憶だったのかもしれない。