第1話『突然の通報~娘が連れて行かれた日~』
その日は、本当に何でもない普通の日だった。私はいつものように、朝からバタバタと準備をして、家を飛び出した。
娘の美月(みづき)はまだ眠そうな顔をして、食卓でぼんやりとパンをかじっていた。
「美月、ちゃんと学校行きなよ。夕方また遅くなるから、夕飯は冷蔵庫にあるもので食べててね」
「うん、わかったよ」
美月はもう中学生だし、ひとりでご飯くらい食べられるはずだ。
だけど最近、私は仕事が忙しすぎて、ほとんど美月と話す時間がなかった。
「来週はもう少し早く帰れるから、一緒にご飯作ろうね」
そう言って笑った私に、美月は何も言わず小さく頷いただけだった。
その日も私は残業で、気づけば時計は夜の10時を回っていた。
帰りの電車の窓に映る自分の顔は、明らかに疲れている。
こんな顔、美月には見せたくないなぁと思った。
ようやく自宅マンションの階段を上がり、ドアを開けると、なぜか部屋の中が異様に静かだった。
「美月?寝ちゃったの?」
部屋の明かりはついているのに、美月の姿が見当たらない。
私は心配になって部屋中を探した。
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。嫌な予感が胸に広がった。
「はい…?」
ドアを開けると、そこには見知らぬ男女が立っていた。
「児童相談所の者ですが、あなたのお子さんを保護しています」
え?何を言っているんだろう。
この人たちは。
「どういうことですか?」
「近所の方から通報がありまして。娘さんを長時間ひとりで放置していると」
頭が真っ白になった。
通報?保護?
そんな言葉がぐるぐると頭の中を回って、私はその場にへたり込みそうになった。
「いや、放置って…。あの子は中学生ですよ?私だってちゃんとご飯は用意して…」
「それでも、未成年者を長時間ひとりにしておくのは問題があります。娘さんは今、施設で保護していますので、明日あらためてご連絡ください」
施設という言葉に心臓が締め付けられた。美月はどんな気持ちでいるだろうか。
児童相談所の職員は冷静な表情で、「明日また詳しくお話を聞かせていただきます」とだけ言い残して帰っていった。
私はひとりぼっちの部屋で、しばらく呆然としていた。
涙も出なかった。ただ、どうしてこんなことになったのか、理解できずにいた。
夜が深まり、私は美月の部屋を覗いた。
乱雑に積まれた教科書やノート、美月がいつも抱いて眠っているぬいぐるみが、彼女の不在を強烈に感じさせた。
「ごめんね、美月…」
私はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
娘を守れなかったこと、仕事に追われて娘の孤独に気づかなかったこと、すべてが自分の責任に思えた。
翌朝、私は重い気持ちのまま、児童相談所に向かった。
これから私の人生はどうなるのか、まったく見当もつかなかったけれど、ひとつだけはっきりしていたのは、美月を必ず取り戻さなくちゃいけないということだった。
それはとても厳しい道のりかもしれない。
でも私は決意していた。どんなに理不尽な現実でも、絶対に負けない。
そして、私の運命を変える不思議な出来事が、この日を境に起こり始めることを、私はまだ知らなかった。